福島女子医専
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 08:23 UTC 版)
第二次世界大戦において日本軍の戦局が厳しさを増していく1944年(昭和19年)、学徒出陣や学徒勤労動員によって学校から姿を消した男子学生に代わって、男子専門職を代行ないし補助できる女子を養成する必要から「女子専門学校教育刷新」が政府より出された。医療部門でも人不足は例外ではなく、とりわけ福島県ではもとより医師が不足していた。当時の県内町村の過半が無医地区であり、人口1万人あたりの医師数も4名ほどで、全国平均の7.2名を下回っていた。 このため、福島県会は1942年(昭和17年)の段階から医学専門学校の設置を検討していた。設置認可を受けるには不足した要件もあったが、附属病院に関しては公立福島病院組合会が同病院の医専への寄付を決定し、建設費300万円も県内有志からの寄付を募った。また、初代校長として東北帝国大学医学部長の八木精一が招聘に応じた。 「福島県立女子医学専門学校」設立申請は1944年(昭和19年)1月9日の県会にて可決されて即日、文部省に送付された。翌10日に認可を受け、3月5日に福島市と宮城県仙台市、東京都で入学試験が実施された。応募者1,180名は学科試験、身体検査、口頭試問により選抜され、151名が4月20日の入学を迎えた。
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