禁酒法撤廃後の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 19:03 UTC 版)
「カリフォルニアワイン」の記事における「禁酒法撤廃後の復興」の解説
13年間にも及ぶ禁酒法でワイン産業自体が後退し、再興に時間を要したため、多くのワイン愛好者は飲用するアルコールをワインから安酒や蒸留酒に切り替えた。禁酒法撤廃後には爆発的にワイナリーが増えて1934年には804に達したが、凡庸な品種による質の低さや需要の見込み違いなどが影響し、1944年には465にまで減少している。 禁酒法施行以前にはスティルワインの生産量が酒精強化ワインを上回っていたが、禁酒法撤廃後には税金が安い酒精強化ワインが流行し、カリフォルニア産ワインの3/4を占めるようになった。東海岸や中西部の瓶詰め業者がカリフォルニアのワイン産業を牛耳るようになり、名門ワイナリーもこれらの瓶詰め業者に樽で出荷することがあった。 1935年にはカリフォルニア大学デービス校にワイン醸造研究所が新設され、多くのワイン醸造家を輩出するカリフォルニア屈指のワイン研究機関となった。メイナード・アメリン教授とアルバート・J・ウィンクラー教授が先導してカリフォルニア州に適したブドウ品種を分析し、1944年の論文『カリフォルニアで栽培するブドウの果汁、および、ワインの成分と品質分析』ではウィンクラー・スケールと呼ばれるワイン産地の区分法が用いられた。加えてワイン醸造家の集合体であるワイン・インスティテュートが発足し、ワインの販売促進やワインの普及に取り組んだ。 第二次世界大戦勃発後にはワイン供給量・消費量ともに減少したが、この時期にも品種改良などの研究は進み、大戦終結後にはデービス校が世界最高のブドウ栽培・ワイン醸造研究機関として認知されるようになった。ヨーロッパの食習慣に親しんだ第二次大戦帰還兵の存在も影響し、カリフォルニア全体で量から質への転換が進んだ。1960年代にはナパのブドウ栽培面積が4,000ヘクタールにまで増加したが、それでも1890年代の約半分に過ぎなかった。
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