禁酒法下で密輸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:16 UTC 版)
1919年、波止場の荷揚げ労働者だったドワイヤーは禁酒法が施行されるとすぐにトラック、駐車場、倉庫を押さえ、マシンガンを搭載した武装ボートを準備して、アルコール密輸を始めた。カナダルートが主流の密輸ビジネスでヨーロッパからの直輸入ルートを選択した。ニューヨークのヘルズキッチンの波止場に陸揚げされた酒は一旦倉庫に置き、チームスター組合に守られたコンボイ軍団で国内各地に輸送した。長時間の輸送は武装強盗に狙われる可能性が高いため、アイルランド系ギャングのオウニー・マドゥン、のちフランク・コステロとパートナー関係を築いて陸送中の武装を強化した。沿岸警備隊員を接待漬けにし、アイルランド系の政治組織タマニー協会の政治的保護もあって配下の密輸船はいつも安全に入出港できたため酒の供給は事欠かず、大量の酒を全米各地に売りさばいて大儲けした。
※この「禁酒法下で密輸」の解説は、「ビル・ドワイヤー」の解説の一部です。
「禁酒法下で密輸」を含む「ビル・ドワイヤー」の記事については、「ビル・ドワイヤー」の概要を参照ください。
- 禁酒法下で密輸のページへのリンク