禁酒法の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:40 UTC 版)
「アメリカ合衆国における禁酒法」の記事における「禁酒法の廃止」の解説
こうして、禁酒法に対する反感が大都市でも次第に高まるようになり、撤廃を望む意見が出るようになり、1932年の大統領選挙では禁酒法が中心的争点となった。失業対策と農家救済 が叫ばれる中、フランクリン・ルーズベルトは禁酒法の改正を訴えて勝利した。アメリカ合衆国大統領となったルーズベルトは、1933年3月23日にボルステッド法のカレン=ハリソン修正案に署名したことで、重量にして3.2%、容積にして4%のアルコールを含むビールと軽いワインの製造・販売が許可された。修正案に署名をしたルーズベルトは「私にはこれがビールのための楽しい時間になるだろうと思えるよ」という言葉を残した。 カレン=ハリソン修正案は1933年4月7日に施行され、さらに憲法修正第18条自体も修正第21条により、1933年12月5日に廃止され、これによりボルステッド法も違憲状態となって、その役目を終えた。ヒーバー・J・グラントと末日聖徒イエス・キリスト教会の反発にもかかわらず、ユタ州議会は憲法修正第21条を批准した。このため、ユタ州と同日にペンシルベニア州とオハイオ州でも憲法修正案が批准されたが、ユタ州が改憲を成立させた36番目の州と言われる。 修正第21条では、州にアルコールの輸送を制限するか禁止する権利を委ねると明記され、憲法改定の後も禁酒法を実施し続ける州もあった。1907年に禁酒法を作ったミシシッピ州は1966年まで禁酒法を廃止せず、最後まで禁酒法が残る州となった。カンザス州では1987年まで、バーの様な屋内の中で酒類を提供することを許可せず、今日でも酒の販売を制限したり禁止する「ドライ」な郡や町が多数残っている。
※この「禁酒法の廃止」の解説は、「アメリカ合衆国における禁酒法」の解説の一部です。
「禁酒法の廃止」を含む「アメリカ合衆国における禁酒法」の記事については、「アメリカ合衆国における禁酒法」の概要を参照ください。
- 禁酒法の廃止のページへのリンク