社外船主へとは? わかりやすく解説

社外船主へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 00:43 UTC 版)

乾新兵衛」の記事における「社外船主へ」の解説

明治37年1904年)の日露戦争日本海運界に新しい活を生み出すものであったが、ことに神戸海運界ではこの時期に、土着の社外船主出現が画せられた。新兵衛はこの情勢を見逃すことなく機敏に商機をとらえ醸造業から海運業へと転換し日本における海運ブローカー鼻祖ともいわれる佐藤勇太郎のすすめで、船齢22年舶来中古船購入し兵庫県出身最初社外船主として名のりをあげた。新兵衛自家醸造酒の名称をとって「乾坤丸」と名づけた。以後新兵衛は買船現金主義をとった。買船はことごとくイギリス中古船をねらい、その支払いはすべて現金徹した。また新兵衛は、どの保有船にも保険はかけなかった。所有船遭難してサルベージ会社に頼まず、みずから遭難現場おもむき、何月もかかって離礁成功するという、いわゆる乾式手弁当サルベージ」を敢行した。これらは新兵衛人並みはずれたケチケチ主義、じつは徹底した合理主義、すなわち独特の堅実無比海運経営信条であった。 こうして明治41年1908年)には乾合名会社設立し所有船四隻(のち七隻)を数えオーナーとなり、第一次大戦ブーム迎えて山下亀三郎内田信也勝田銀次郎いわゆる船成金岡崎藤吉とともに神戸海運五人男」と称せられることとなった新造船に熱中した船成金第一次大戦後反動手痛い打撃受けた際も、中古船主義かたくなに守り抜いていた新兵衛涼しい顔をしていた。 新兵衛ケチケチ主義人並みはずれて徹底したものであったが、大正7年1918年)の米騒動ときには2万円を神戸市に、大正12年1923年)の関東大震災のときにも3万円寄付した

※この「社外船主へ」の解説は、「乾新兵衛」の解説の一部です。
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