社宅「林泉園」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
1922年6月に東邦電力へと改称して本社を東京に置くと決定したが、当時東京においては住宅難が著しかっため、その対策として会社では社宅用地6500坪を東京市郊外の下落合(現・東京都新宿区)に確保した。目白駅西方の土地で、東に近衛文麿本邸、南に相馬子爵邸が隣接する。敷地内の湧水にちなんで「林泉園」と命名され、東端の460坪が松永に、他の1295坪が希望する役員・社員へと分譲され、残る土地に社宅や独身寮が建てられた。敷地内にはテニスコートなどの娯楽施設も設けられ、単に社宅ではなく福利厚生施設としても活用された。 この「林泉園」での特記事項は、関東大震災発生時に臨時の本社事務所とされたことである。震災によって本社事務所を置く東京海上ビルがしばらく使用不能になったため、震災翌日より20日間にわたり園内松永邸にて事務が取り扱われた。 会社解散に伴い、個人所有分を除いて残余財産処理の一つとして日本発送電へと譲渡された。
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