船主として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 00:43 UTC 版)
山下が船主になったのは、1903年(明治36年)のことである。まず手付けの1万円を払い、残りの11万円の金策に山下は奔走する。保険会社や取引先から8万円借りるが、残り3万円足りない。当時第一銀行横浜支店長心得の石井健吾(後の第一銀行頭取)に相談すると、山下の意気を感じた石井は、自ら3万円の借金をして、それを貸した。山下は恩義を終生忘れず、石井が昭和初年に退任するまで第一銀行をメインバンクとした。 こうして手に入れた英国船ベンベニニー号(2,373トン)を喜佐方丸と命名し、海運業に乗り出す。喜佐方丸の名は生まれ故郷の村の名前であり、山下は村を出てから20年にして「大手を振って村の道が歩ける」船主になったのである。しかし、船舶経営の経験に乏しい山下は、さしあたりブローカーの力を借りて横浜・上海航路の事業に着手するが燃料代にも事欠く有様であった。
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