社会教育・生涯学習に関する活動
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「堀内柳南」の記事における「社会教育・生涯学習に関する活動」の解説
大正デモクラシーの影響下に自由教育が開花した大正後期、北巨摩郡では「成人教育」「国語教育」が高い水準で実践されていた。その中心となったのが堀内柳南であった。1923年(大正13年)8月、北巨摩郡教育会主催の夏期大学が秋田村(現・北杜市長坂町)の曹洞宗朝陽山清光寺で開かれ、芥川龍之介が講師として参加した。。 堀内柳南は、北巨摩郡教育会の会長として夏期高原大学を主催した。1921年(大正11年)8月の第1回は、国語教育の第一人者の垣内松三を招いて小淵沢小学校で開催され、1922年(大正12年)8月の第2回は、芥川龍之介(小説家)、得能文(哲学者)、加藤咄堂(宗教家)の3名を講師に秋田村(現・北杜市長坂町)の曹洞宗朝陽山清光寺で行われた。芥川龍之介は、2日から5日まで毎日2時間、「文芸について」のテーマで講義した。この講座は当初『或る女』で有名な有島武郎が予定されていた。 1930年(昭和5年)には、編さん主任として「北巨摩郡勢一班」を刊行した。 また堀内柳南は登山家の一面も持ち、前出の『山岳の宗教』p.17には、特に八ヶ岳について詳細な知識を有していたことが記載されていいたる。「八ヶ嶽新縦走路」と題した記事が、6回にわたり朝日新聞に掲載1919年(大正8年)された。 藤の花 軒端の苔の 老いにけり — 芥川龍之介から柳南に贈られた句幅
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