社会教育主事の歴史
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社会教育主事は、1921(大正14)年の「地方社会教育職員制」と題した勅令に基づき創設された。同勅令は、全国に社会教育主事60人以内、社会教育主事補110人以内を置くものとされ、それぞれを職制上高い地位に位置付けた。ただし、それ以前にも事実上、社会教育主事は設置されていたことから、そうした実態を踏まえた勅令であった。 戦後も社会教育主事職は維持され、社会教育法にその設置根拠が明記されることになり、1959(昭和34)年の社会教育法改正によって市(区)町村教育委員会にも必置とされた。そのため、当時は教員から社会教育主事に職替えする者が多く、文部省は社会教育主事講習によって有資格者を増やすこととなった。1974(昭和49)年には、未設置市町村解消を目的にして派遣社会教育主事の国庫補助事業が開始され、主に現職教員を市町村に社会教育主事として派遣する仕組みが導入されることになり、教員と社会教育主事との人事交流が活発になったものの、1998(平成10)年にその国庫補助が廃止されたことから、派遣社会教育主事の設置数は減少傾向をたどった。さらに、1982(昭和57)年には社会教育主事補の必置制が廃止され、任意設置に改められるともその設置数も減少していくことになった。 このように、社会教育主事・主事補はその役割が重要だとされつつも、実際には規制緩和によって設置数が減少の一途をたどり、今日に至っている。その背景には、人件費の削減策があるほか、社会教育主事不当配転問題(社会教育主事を他の行政セクションに異動させたことを不当視して、その撤回を求める運動)のような人事に関わる問題が指摘できる。他方、後述する社会教育法改正によって社会教育主事と学校との関係性が重視されるようになってきている。
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