砂漠の剣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:41 UTC 版)
1か月以上に亘って行われた恒常的空爆により、イラク南部の軍事施設はほとんど破壊されてしまった。2月24日に空爆が停止された。同日、多国籍軍は地上戦(「砂漠の剣」作戦)に突入。クウェートを包囲する形で、イラク領に侵攻した。 「73イースティングの戦い」、「:en:Battle of Al Busayyah」、「:en:Battle of Phase Line Bullet」、「:en:Battle of Norfolk」、「:en:Battle of Medina Ridge」、「:en:Battle of Kuwait International Airport」、および「:en:Battle of Rumaila」も参照 大統領親衛隊や共和国防衛隊を除く主要のイラク軍は、度重なる空爆によって消耗しており、装備も貧弱で、まるで士気がなかった。一部では油田に火を放って視界を妨害しようとしたが、多国籍軍は熱線映像式暗視装置を持っていたため、煙の向こうのイラク軍部隊は反撃もできずに一方的に撃破されたあげく、続々と投降した。 イラクは翌2月25日にスカッドミサイルでサウジアラビアを攻撃し、ダーラン近郊の第14補給分遣隊兵舎に命中させたことで、28人を殺害、100人以上を負傷させた。しかし、抵抗はここまでであった。地上戦開始から100時間後に、イラク軍は二本の幹線道路に長蛇の列を作って撤退を開始した。それを2月26日から翌日にかけて、米軍機が猛爆したので、そこは死のハイウェイと化した。夜が明けた頃には無数の焼け焦げた車両と焼死体が散乱していた。多国籍軍は2月27日にはクウェート市を解放して、さらには敗走するイラク軍を追撃した。2月28日の朝(イラク時間)に、戦闘が終結した。 アメリカのブッシュ大統領は記者会見で、「クウェートは解放された。」「イラク軍は敗北した。我々の戦闘目的は達成された。多国籍軍の勝利であり、国連の、全人類の、そして法の支配の勝利である。」と述べた。一方で、イラクのフセイン大統領は、「あなたがたは勝利したのだ、イラク国民よ。イラクこそ勝者である。イラクは悪とテロと侵略主義の帝国であるアメリカのオーラを破壊するのに成功したのだ」と強弁した。 3月3日には暫定停戦協定が結ばれた。
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