石炭利用の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:48 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の鉱業」の記事における「石炭利用の歴史」の解説
朝鮮で石炭を使用した記録としては、高麗期に撫順の炭鉱で陶器製造に使用したとみられるのが最も古い遺物である。1590年に尹斗寿(朝鮮語版)が記した『平壌誌』によれば、当時の平壌周辺では炭田が近いこともあって炊事の燃料などに石炭を使っていたという。李氏朝鮮においては、19世紀以降も産業革命の根幹となる石炭の工業利用に対する政府の関心は非常に低かった。 韓国併合のあった1910年の時点でも炭鉱開発の申請は年間わずか27件だったが、1913年には三菱財閥が大寶炭鉱、1918年に明治鉱業が大成炭鉱、1919年には東洋拓殖が江東炭鉱の経営をそれぞれ始めるなど、日本資本の進出が進んだ。朝鮮の石炭は煤煙が少ないという特長があるため、1911年に朝鮮総督府が平壌鉱業所内で加工して、朝鮮で初となる練炭の販売を開始した。家庭におけるオンドルや炊事での使用向けに製造され、1915年には10,000トンが生産されている。1918年までは生産された石炭の60%以上が日本に輸出され、1911年にはその全量が徳山町の海軍練炭製造所に納入されている。 1918年に黄海道(現・黄海北道)で兼二浦製鉄所が操業を開始すると、朝鮮における石炭の需要は急増した。しかし、製鉄に必要なコークスの原料となる瀝青炭は朝鮮で産出されないため、筑豊炭田や撫順から移入ないし輸入され、総督府によって石炭の輸入税が同年から免除されている。鉄道でもこれらの移・輸入石炭は使用され、1910年には年間58,000トンだった移・輸入の超過量は、1919年には年間793,000トンまで増加している。 北朝鮮では石炭の年間生産量が1985年に史上最高の3750万トンを記録したが、経済悪化や食糧難を受けて1998年には史上最低の1860万トンまで減少した。その後、4大先行部門に指定されて生産の回復に注力したこともあり、2009年には年間2550万トンまで生産が回復している。
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