石炭取引と保険業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 16:31 UTC 版)
「ジョン・ウォルター (出版業者)」の記事における「石炭取引と保険業」の解説
石炭商リチャード・ウォルター(Richard Walter、1703年? – 1755年?)と妻エスター(Esther)の三男として、おそらく1739年にロンドンで生まれた。兄にロバート(1731年? – 1785年)とリチャード(1733年 – 1773年)がいるが、父の死後にその業務を引き継いだのは三男のジョンだった。 石炭商を12年間務めた後、ウィリアム・ブラッドリー・アンド・セージ社(Walter, Bradley, and Sage)の社長になった。ロンドン石炭取引所(英語版)の設立にも関わり、その経営委員会の会長を数年間務めたが、1781年に辞任して石炭取引から手を引いた。同時期に保険業にも関わっており、会長辞任を機に保険業に専念し、同年にロイズに加入した。最初は石炭取引にかかわる船舶の保険を専門としたが、後により投機的な保険も手がけるようになり、その結果として大損害を出し、1782年初には破産を宣告するに至った。しかし、債権者たちはウォルターを信用しており、ウォルターの地所にかかった債務の回収にウォルター自身を任命した上、ブルームスベリーのクイーン・スクエア(英語版)にあるウォルターの自宅の家具を謝礼としてウォルターに与えたほどだった(ただし、その蔵書だけは売却させて借金返済に充てらせた)。
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