石炭商に転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:46 UTC 版)
民義が校長として勤めていた安治川小学校の関係者に、同地で石炭商を営む西井直次郎という人物がいた。西井は他の有力な資本家達と新たに石炭会社「有限責任大阪石炭会社」を設立する。大阪府の資料によれば同社は大阪市北区安治川通南一丁目に位置し、資本金10万円、1887年(明治20年)8月に許可を受けて同年11月に開業した。社長の井上仁兵衛は大阪の酒造家であった。民義はこの大阪石炭会社に定款の作成など手を貸していたところ、同社への入社を勧められた。これを機に民義は安治川小学校を辞し、大阪石炭会社に入社、事務一切を取り仕切ることとなった。大阪石炭会社では、九州から大阪や神戸に輸送されてきた石炭を、自社で雇った汽船に積み替えて東京へ運搬し、東京の石炭商へ販売する、という事業を手がけた。 大阪石炭会社は数年で解散したが、解散後1889年(明治22年)4月に協力者だった西井直次郎の妹あいと結婚、翌1890年(明治23年)5月には長男義雄が生まれた。
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