真田幸昌
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真田 幸昌(さなだ ゆきまさ)は、江戸時代前期の武将である。真田信繁(幸村)の嫡男、母は竹林院(大谷吉継の娘)。通称は大助で、『真田十勇士』などの講談では真田 大助の名で登場する。
- ^ 『仙台真田系譜』
- ^ 『信濃郷土叢書』第一期上巻
- ^ 『蓮花定院書面』
- ^ 小林計一郎 1989, p.96
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 小林計一郎 1989, pp.95, 187-188
- ^ 現在の和歌山県伊都郡九度山町。近くに歴史資料館九度山・真田ミュージアムがある。配所であった真田庵は同町の善名称院であり、九度山は高野山の表参道口にあたる場所の地名であって、山があるわけではない。
真田幸昌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
幸村の長男。10巻より登場。容姿は祖父である昌幸にうり二つであり、髪の色は曾祖父の幸隆に似ている。蟄居していた幸村と共に、豊臣家重臣の大野治長と面会するも、父親と一緒にふざけまくっており、治長に長い葛藤を強いた。
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