伊木遠雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 15:08 UTC 版)
伊木 遠雄(いき とおかつ / とおたけ / とおお)[10]は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣家の譜代家臣。通称は半七。七郎右衛門[3][4][5](七郎衛門[6])とも称したが、伊木半七の名の方が知られる。入道して常紀[4][6][5](常糺[7])と号した。
- ^ a b c 香川長兵衛の義兄弟が遠雄・本人であるとすると、経歴と年齢が合わない。本人説で出てくる場合は、名は尚遠や常重。
- ^ 「とおかつ」の同音漢字の置き換え。
- ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “伊木遠雄” (日本語). コトバンク. 2020年7月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 高柳 & 松平 1981, p. 21
- ^ a b c d e f g h i 桑田 1971, p. 72
- ^ a b c d e f g h i j k l 阿部 & 西村 1990, p. 73
- ^ a b c d e 柏木輝久、北川央(監修)編 『大坂の陣 豊臣方人物事典』 宮帯出版社、2016年。ISBN 4801600077。
- ^ a b c d e f g 平重道(責任編集) 『伊達治家記録』 23巻 宝文堂出版販売、1972年。
- ^ 通称を庄次郎。諱は一説に尚重。父と同じく関ヶ原で浪人後、秀頼の招きで大坂の陣に参加。落城後は逃亡し、伊木三郎右衛門と名乗って、真田氏に仕えた[6]。
- ^ 遠雄は「とおかつ」だけでなく「とおたけ」や「とおお」とも読む[3]。『戦国人名事典』では「とおかつ」[6]。『戦国人名辞典』では「とおお」[4]。
- ^ 岡部忠夫編 『萩藩諸家系譜』 琵琶書房、1983年。
- ^ ただし、池田藩の筆頭家老となった伊木氏との関連がわかる史料は見つかっていない。
- ^ 吉村 1934, p. 142.
- ^ 『戦国人名辞典』では「5月6日決戦、翌日逃走して」[4]と書かれているが、夏の陣の決戦は7日である。
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