阿梅
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阿梅(おうめ、慶長4年[1](1599年)または慶長9年(1604年) - 延宝9年12月8日(1682年1月16日))は、江戸時代前期の女性。真田信繁の三女。仙台藩家臣片倉重長の継室。
- ^ a b 慶長4年生まれとすると、大坂城の落城時に16、7歳だったという『老翁聞書』の記述とも一致する。
- ^ 小林計一郎 1989, p.95
- ^ 後年、信繁と竹林院の供養を執り行っているため。
- ^ 丸島和洋 2016, p. 245
- ^ 小林計一郎 1989, p.12
- ^ 小林計一郎 1989, pp. 188–189
- ^ 『古前島助之進覚書』および『滝川家記』による[6]。
- ^ a b 丸島和洋 2016, pp. 244–245
- ^ 松代藩『御家中系図』による[8]。
- ^ 幸村法号・月心院単翁宗伝大居士より命名。宮城県白石市森合にあったが、重長が起こした傑山寺に併合された。
- ^ 現在は廃寺。
- ^ 在宮城県白石市本町62。
- ^ a b c 平山優 『大いなる謎真田一族 : 最新研究でわかった100の真実』PHP研究所、2015年、310-311頁。ISBN 9784569763705。
- ^ 『真田幸村』昭文社、2016年、18頁。ISBN 9784398278845。
- ^ 至道会 編 国立国会図書館デジタルコレクション 『老翁聞書』至道会、1917年、69頁 。
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