真弓槻弓年を経て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 00:18 UTC 版)
本曲では伊勢物語24段から「真弓槻弓…」の歌の一部が引用されており、前述のように古注では24段の主人公夫婦は業平と紀有常女の二人と同一視されているため、24段がどの程度本曲に影響を与えているかが議論となる。 そのためにまず24段の内容を簡単に振り返ると、次のような話である。主人公の女は都に宮仕えにいったまま音沙汰がなくなった夫を待ち続けたが、3年後、ついに諦めて別の男の元へと嫁ぐ事にする。しかし嫁ぐ事が決まった日に夫が帰ってくる。事情を察した夫は身を引いて去ってしまった為、女は夫を追いかけるが、追いつく事ができないまま力尽きて死んでしまう。 こうした事実から堀口廉生は、世阿弥時代には伊勢物語の紀有常女は業平を待つ続け、その結果死んだのだと理解されていたと指摘し、堀口は24段の女は「「待つ女」として「井筒」に形象され」、本曲における「死してなお業平のおとずれを待って、みすがら形見を着して舞う女の姿を理解するには、やはり、第二四段の「待つ女」の悲しい運命を、 その一助とすべきであろう」として悲劇的な紀有常女像を提唱した。 また伊藤正義も「『伊勢物語』二三段を中心に、一七段、二四段の話を合わせて作られている」とし、23段の筒井筒の物語の後、24段にあるように「三年間の空白を桜とともに待ち。三年目の夜、業平を追って、追い続けて息絶える」のだとし、本曲の背後には、「「有常娘物語」とても言うべき、有常娘の一代記の物語が存在するのではないか」と主張した。 「この「井筒」の背景にある有常娘像は「業平を待ち続けたにもかかわらず、二人の結婚は結局のところ破綻し、死にいたるまで業平にかえりみられなかった」と言うものになり、『井筒』のシテは、このようにして死んだ過去の亡霊として業平を「待ち続け」たまま、舞台の在原寺に登場することとなる」。 一方、八寫正治や西村聡は本曲に24段の世界が投影されていると考えがたいと論じており、その根拠は「24段の悲恋の面影が「井筒」に於いては全く用いられぬ」事、24段の「真弓槻弓」の歌の一部しか本曲に引用されていない事、「男の歌であって女の歌でない」事、「二十四段の女主人公が夫に去られて死んでしまうことで、そのような劇的な、それだけで一つの戯曲が成り立つ展開を、引用された歌の一部に読み取ってよいのだろうか」という事である。 それに対し飯塚恵理人は、世阿弥当時の伊勢物語の解釈である古注の『十巻本伊勢物語抄』、『伊勢物語知顕集』、『伊勢物語愚見抄』を参考に、こうした見解に異論を唱えている。飯塚によれば、伊勢物語24段に出てくる(24段の女が)「いたづらになる」という語が通常の古文での意味「死んでしまった」ではなく、古注では「痛ましい顔になった」というふうに解説しており、24段は女の最期を語ったのではないと解釈されていたとする。同様に「真弓槻弓…」も有常娘に復縁をせまった歌と解釈されており、現在のように新しい相手と親しむように求めた歌だと解釈されていたわけではない。
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