県道認定と道路整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 14:04 UTC 版)
「鹿児島県道349号手打藺牟田港線」の記事における「県道認定と道路整備」の解説
1960年(昭和35年)4月13日に「鹿児島県告示第335号」によって薩摩郡下甑村大字手打から藺牟田港(薩摩郡鹿島村大字藺牟田)までの区間が一般県道手打藺牟田港線として認定された。 県道認定後、順次道路整備が行われ、1969年(昭和44年)には下甑村大字青瀬から大字長浜までの区間が、1972年(昭和47年)に下甑村大字青瀬から大字手打までが開通した。また同年には鹿児島県により公示された「 路線番号決定公告」により、路線番号が制定され一般県道手打藺牟田港線には349号が付番された。 下甑島の北部にあり、県道の路線の終点となっている藺牟田港を擁する鹿島村は、陸続きの隣村である下甑村とは1950年(昭和25年)に大字藺牟田の区域が鹿島村として分村するまでは同一村を形成していたが、自動車による両村間の往来は不可能であった。鹿児島県によって編纂された「鹿児島県市町村変遷史」によれば、1950年(昭和25年)に鹿島村が下甑村から分村する際の理由として「下甑村の中心集落であった手打とは陸路では徒歩連絡すらも困難」と掲げられる程の状態であった。 このような状況であったが、1982年(昭和57年)に芦浜トンネルが開通し手打藺牟田港線が全線開通した。このことにより初めて鹿島村と下甑村の間が自動車によって往来できるようになった。 2010年(平成22年)3月26日に下甑町手打から下甑町青瀬に至る区間が狭隘であり急こう配であったことから整備されていた「手打バイパス」が開通し、手打トンネル(延長:1,370m)及び青瀬トンネル(延長:1,098m)が供用開始となった。
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