県名の起源にまつわる説話とは? わかりやすく解説

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県名の起源にまつわる説話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 22:36 UTC 版)

鳥取県」の記事における「県名の起源にまつわる説話」の解説

鳥取」の語は、『古事記』『日本書紀』垂仁天皇に「鳥取造(ととりのみやつこ)」や「鳥取部ととりべ)」が見える。 『古事記』には、大和朝廷諸国捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという一節があり、当時、沼や沢の多い湿地帯であった鳥取平野水辺に集まるなどを捕らえて暮らしていた狩猟民族が、大和国(現・奈良県)に政権ができてからその支配体系組み込まれ、「鳥取部」として従属するようになり、そこからこの地が「鳥取」と呼ばれるようになったとされる『日本書紀』垂仁天皇二十三年九月から十一月の条にかけて「鳥取」の起源説話見える。誉津別王子(ほむつわけのみこ)が成人して言葉喋れないことを天皇憂いていた時、大空白鳥飛んでいるのを見つけ「是何物ぞ」と発した天皇喜びて、その捕獲命じた天湯河板挙(あまのゆかわたな)が追い続け各地巡り、ついに出雲の地(現在の島根県安来地方だという説が有力)で捕獲成功した。この功績から「鳥取造」の称号(姓=かばね)を拝命した。『古事記』にも同類説話見えるが、結末違っている。 『和名類聚抄』の因幡国邑美(おうみ)郡の五郷一つ鳥取がある。この郷名は、上述垂仁天皇王子である本牟智和気御子(ほむちわけみこ)のために設置され鳥取部由来するこの辺一帯沼地で、全国白鳥伝説との関連取り上げられている。文書のうえでは、天慶3年940年)の因幡国高草郡東大寺領高庭庄坪付注進状東南院文書)に「主張鳥取高俊」(郡司推定)の署名初見である。 山陰道因幡国伯耆国

※この「県名の起源にまつわる説話」の解説は、「鳥取県」の解説の一部です。
「県名の起源にまつわる説話」を含む「鳥取県」の記事については、「鳥取県」の概要を参照ください。

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