百鬼夜行の登場する説話
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日本の説話集などに記述がみられる。以下はそのうちの主だったものである。 今昔物語集「尊勝陀羅尼の験力によりて鬼の難を遁るる事」(巻14の42) 貞観年間(859~877)、右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中、美福門周辺で東大宮大路の方から歩いてくる100人ほどの鬼の集団に遭遇。常行の乳母が阿闍梨に書いてもらった尊勝仏頂陀羅尼(尊勝陀羅尼)を縫いこんであった服を着ていたので、これに気がついた鬼たちは逃げていった。 「安倍晴明随忠行習道語(安倍晴明、忠行に随ひて道を習ふ語)」(巻24の16) 安倍晴明が若かりし頃、夜間、師の賀茂忠行に随伴して歩いていた。その際、いち早く複数の鬼を発見した晴明は、寝入っていた忠行を起こして事態を報告する。急を知った忠行は術により鬼どもを退けた。このことで忠行は晴明の見鬼の才を知り陰陽道を教え授け、晴明もそれを瓶に水を移すが如く吸収した。 江談抄「小野篁并高藤卿遇百鬼夜行事(小野篁ならびに高藤卿、百鬼夜行に遇ふ事)」(3の38) 小野篁と藤原高藤が同行していた際、篁はいち早く百鬼夜行の存在に気づく。このとき高藤本人は知らなかったが、その衣服に尊勝陀羅尼が縫い込まれており、それを見越した篁はあえて一行を百鬼夜行に出会わせた。百鬼夜行が尊勝陀羅尼の御利益により退けられた後、篁は高藤に対して「謹んでお遇わせいたしました」と慇懃無礼に嘯く。 宇治拾遺物語 「修行者百鬼夜行にあふ事」 ある修行僧が摂津の竜泉寺で出遭った100もの鬼の集団。不動明王へ祈っていたことで命はとられなかった。 「一条桟布屋鬼の事」 「諸行無常」と詠じながら一条大路を通った馬頭の鬼の話。「百鬼夜行にてあるやらんとおそろしかりける」と本文に記されてある。 古本説話集「西三条殿若君遇百鬼夜行事」(第51) 大鏡 天暦10年(956)に藤原師輔が遭遇したもの。蘇我入鹿を先頭に、蘇我馬子、蘇我倉山田石川麻呂、山背大兄王、大津皇子、山辺皇女など藤原氏を恨んで死んだ者たちの行列。藤原師輔が尊勝仏頂陀羅尼を読んで難を逃れた話。 沙石集(巻5) 比叡山の僧侶が参篭しているところへ行疫神の集団がやって来て「比叡山の僧をいただきたい」と話しかけられる話。『魔訶止観』を唱えて行疫神たちを避ける。 打聞集 宝物集 諸国百物語 昔話としても知られているこぶとりじいさんの話に登場する鬼たちも、『宇治拾遺物語』では様々な様相の鬼たち百人ばかりが火をともしてがやがやと出現する場面が描写されている。
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