疑わしい手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:19 UTC 版)
その後も、ニュースメディアに怪しい手紙が送られることがあり、一部は以前にゾディアックから送られた手紙と特徴が似ていた。1974年2月14日付けの消印が押された手紙がサンフランシスコ・クロニクル社に届いた。手紙は編集者宛てで、シンバイオニーズ解放軍 (英: Symbionese Liberation Army) の頭文字の"SLA"は古ノルド語で「殺す」という意味であるという内容だった。しかし、その筆跡はゾディアックのものであるとは証明されなかった。 1974年5月8日付けの消印が押された手紙がサンフランシスコ・クロニクル社に届いた。『地獄の逃避行』という映画は殺人を賛美していると批判する内容で、新聞社にその広告を除くように求めていた。"A citizen" (直訳すると「ある市民」) とだけ署名されており、筆跡や書きぶりが、以前のゾディアックの手紙と似ていた。その後、7月8日付けの消印が押された手紙がサンフランシスコ・クロニクル社に届いた。反フェミニストのコラムニストであるマルコ・スピネリ (英: Marco Spinelli) の著作をサンフランシスコ・クロニクル社が出版したことを批判する内容だった。手紙には"the Red Phantom (red with rage)" (直訳すると「赤い幻影 (怒りで顔が真っ赤)」) と署名されていた。この手紙がゾディアックによるものなのか議論されている。 1978年4月24日付けの手紙がゾディアックを称する人物により送られた。当初はゾディアックが書いた本物であるとされていたが、3か月もたたないうちに3名の専門家により偽物であると宣言された。スタイン殺害事件からゾディアック事件を担当していたサンフランシスコ市警察のデーブ・トスキ刑事が、この手紙を送った犯人であると考えられた。著述家のアーミステッド・モーピン(英語版) (英: Armistead Maupin) は、この手紙は、1976年にトスキ刑事の元に届いた、トスキ刑事の捜査における働きを称賛する手紙と同様であると考えている。モーピンの考えでは、どちらの手紙もトスキ刑事が書いたものであるという。トスキ刑事は1976年の手紙は自分が書いたことを認めたが、1978年の手紙を送ったことは否定した。最終的にはトスキ刑事の嫌疑は晴れた。1978年の手紙が本物であるかは確証がとれていないままである。 2007年3月3日、サンフランシスコ・クロニクル社に送られたクリスマス・カードが、社の写真ファイルの中から編集助手のダニエル・キング (英: Daniel King) により再発見された。消印は1990年のカリフォルニア州ユーレカだった。クリスマス・カードはバレーホ警察に提出された。封筒の中には、カードとともに、磁石付きのキーホルダーで繋がれた2本の郵便公社の鍵の写真複写が入っていた。筆跡鑑定人のロイド・カニンガム (英: Lloyd Cunningham) は、クリスマス・カードはゾディアックのものではない偽物であると判定した。しかし、ゾディアック専門家の中には、カニンガムの分析に同意しない者もいる。封筒には返信先の住所が書かれておらず、ゾディアックの円と十字を組み合わせた図形による署名も見つからなかった。クリスマス・カード自体には誰かが何かを書いた様子はなかった。サンフランシスコ・クロニクル社は分析のためにすべての資料をバレーホ警察に提出した。
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