画歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:34 UTC 版)
江戸本所林町(現在の東京都墨田区立川)に骨董商の次男として生まれる。幼少から絵を好んだらしい一信は、父の勧めで堤派の絵師に就いたといわれ、一信の就学時期と同時代に活躍した堤等琳 (3代目)を師匠としたと想定できる。確かに、人物の筆勢の強い輪郭線やアクの強い表情に両者の共通性が見いだせる。若い頃から老成の風があり、周囲には少々変わり者と映ったようだ。他に四条派、土佐派なども学び、薬研堀に住む狩野直信(伝不詳)の幼名を受けて一信と号した。 更に諸書で「狩野素川」に付いたとされる。この「狩野素川」とは、軽妙洒脱な画風で「素川風」と評された表絵師浅草猿屋町代地狩野家の狩野素川章信だと思われがちだが、章信没時に一信は11歳で、諸派を学んだ後に師事する年齢にしては若すぎる。飯島虚心の『河鍋暁斎翁伝』に逸見一信が、章信と同じく素川を名乗った同じ猿屋町狩野家の狩野素川寿信に就いたとしており、こちらが正しいと考えられる。ただし、一信の子孫が持つ絵画資料の中には、章信画の縮図などが含まれており、少なくとも寿信を通じて章信に私淑していたとも取れる。一信にとっては自らを権威付け、後述する法橋叙任を優位にするため、「狩野素川」を師だと表明していたと考えられる。
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