甲奴町とカーターの交流とは? わかりやすく解説

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甲奴町とカーターの交流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/15 05:00 UTC 版)

カーター記念球場」の記事における「甲奴町とカーターの交流」の解説

甲奴町とカーターの交流は、甲奴町小童(ひち)にある正願寺曹洞宗)の梵鐘が縁となっている。 この梵鐘1820年文政3年)に鋳造されたものであるが、第二次世界大戦中1942年金属類回収令によって砲弾材料として呉海軍工廠供出された。しかし、兵器製造のために鋳潰され終戦迎えることになった経緯不明であるが、あるイギリス人男性この人物には日本への渡航経験はない)がこの梵鐘入手した梵鐘相続した子息アメリカ合衆国移住したが、1985年にこの梵鐘手放すこととなり、ジョージア州アトランタ日本人会購入アトランタカーター大統領図書館 (Jimmy Carter Library and Museum) とカーターセンター (Carter Center) が建設されるのを祝い1985年7月24日日本庭園起工式合わせてカーター寄贈された。梵鐘刻まれていた文字から、この梵鐘がもともと正願寺のものであることが判明日本ジョージア協会関係者正願寺住職檀家代表らと面談し意向聴取したところ、正願寺側も「両国親善一助」としてカーターセンターでの保存同意した1989年、この梵鐘はカーターセンターの玄関に「平和のシンボル広島の鐘」として展示されることとなった甲奴町長がカーター書簡送り来日時の来町を希望1990年10月21日にはカーター甲奴町来訪したこの際カーター正願寺の「二代目」の梵鐘を衝き、またメッセージ記した記念碑除幕行っている。 以後甲奴町カーターおよびジョージア州市民との交流が行われることとなった1995年にはカーター出身地であるサムター郡の郡庁所在地アメリカス市 (Americus, Georgia) と甲奴町姉妹都市協定結んだ2001年には、日本では栽培されていなかったランナー種のラッカセイピーナッツ)の種が贈られ、「カーターピーナッツ」という名で特産品としている。 2004年市町村合併によって甲奴町廃止され新たな三次市発足するが、姉妹都市協定三次市引き継がれた。

※この「甲奴町とカーターの交流」の解説は、「カーター記念球場」の解説の一部です。
「甲奴町とカーターの交流」を含む「カーター記念球場」の記事については、「カーター記念球場」の概要を参照ください。

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