生い立ち~ザ・フーとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 16:40 UTC 版)
「キット・ランバート」の記事における「生い立ち~ザ・フーとの出会い」の解説
ロンドンのナイツブリッジ生まれ。父親は著名な作曲家で指揮者でもあったコンスタント・ランバートであり、裕福な家庭で何不自由なく育った。10歳の頃に両親が離婚、以降は母親とその再婚相手の元で暮らす。離婚後の父・コンスタントは不遇であり、キットが16歳の頃に飲酒がたたり45歳で死亡している。オックスフォード・トリニティ・カレッジ卒業後、パリの映画学校で映画制作を学ぶ。またブラジルのジャングルを探検したりもしたが、この探検で友人を先住民に殺されるという経験もしている。 シェパートン・スタジオで助監督として働き出した頃、後に共にザ・フーのマネージャーとして活動することになるクリス・スタンプと出会う。スタンプはランバートとは対照的に労働者階級の出だが、実兄が俳優のテレンス・スタンプであり、ショウビズの世界にパイプを持っていた。イギリスとアメリカでブリティッシュ・ビート・ブームが沸くと、ランバートは有望なロックバンドを見つけ、そのドキュメンタリー映画を作ろうと、スタンプと共にまだ無名ながら将来有望なバンドを探すため、イギリス中のクラブを旅して回った。 ランバートとスタンプがザ・フーと出会ったのは1964年7月のことだった。ザ・フーのステージに圧倒されたランバートは即座にスタンプに連絡し、ザ・フーに自分達をマネージメント契約するよう接触する。当時ザ・フーはドアノブ業者のヘルムート・ゴードンと契約しており、ゴードンがバンドのパブリシストとして雇ったピーター・ミーデンのマネージメントの元ハイ・ナンバーズと名乗って活動していたが、ランバートとスタンプは「俺達の方が業界に強力なコネがある」とメンバーを説得。最初は二人のことを疑っていたメンバーだったが、ミーデンのやり方に不満を持っていたこともあり交渉は成功、ゴードンとの契約を破棄させ、ミーデンから250ポンドの手切れ金でバンドのマネージメント権を頂戴した。
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