生い立ち~マルメ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:48 UTC 版)
「ズラタン・イブラヒモビッチ」の記事における「生い立ち~マルメ」の解説
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「イブラヒモビッチ」の姓が示す通り、ルーツをバルカン半島に持っておりスウェーデン人の血は引いていない。現在のボスニア・ヘルツェゴビナのビイェリナ出身で、1977年にスウェーデンに移住したボシュニャク人の父シェフィク・イブラヒモビッチと、クロアチア人でザダル近郊のプルコス出身の母ユルカ・グラヴィッチとの間に生まれた。ふたりは移住先のスウェーデンで出会った。「イブラヒモビッチ」という姓は「イブラヒムの息子」という意味で、キリスト教徒が大半を占めるバルカン半島の中にあって、比較的ムスリムの比率が高いボスニアのボシュニャク人に多く見られる姓である。長男で兄弟には3人の姉と2人の弟がいる。マルメの移民コミュニティーがあるローセンゴード地区で育ち、6歳でサッカーを始めた。[要出典] 幼い頃からその得点能力は顕著で、6点ビハインドの試合で交代選手として投入され9得点を挙げた経験を持つ。1995年にマルメFFと契約し、1999年にトップチームデビューを果たす。しかしそのシーズン、マルメFFは2部リーグ降格となった。主力選手が移籍していく中、イブラヒモビッチはこれを「レギュラー獲りのチャンス」と考えて残留。その読み通りに翌シーズンはレギュラーとして活躍し、26試合12得点の成績を残してチームの1部リーグ復帰に貢献した。
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