琉球通寳當百とは? わかりやすく解説

琉球通寳當百

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/02 03:16 UTC 版)

琉球通宝」の記事における「琉球通寳當百」の解説

琉球通寳當百は表面に「琉球通寳」、裏面に「當百」と鋳出され天保通寳當百文銭同型である。量目天保通寳とほぼ同じ5匁5分(20.6グラム程度で、金質天保通寳より黒味帯びており鉛の含有量が高いと推測される左右側面には薩摩を示す(サ)の極印打たれている。 文久2年1862年3月当時薩摩藩支配下にあった琉球救済名目幕府3年期限付き鋳造する許可得て同年8月発行されたが、これと同時進行で、発行による出目大きな天保通寳多量に密鋳されたといわれる事実天保通寳には薩摩鋳造されとされる鋳銭数多く現存している。 薩摩藩では幕末まで銭貨鋳造経験無く琉球通寳鋳造は突然企画されたものであった。そのため、『斉彬公御言行録』によると島津斉彬銭貨鋳造伝習するために、天保通寳鋳造経験有る茶釜鋳物師を、島津家秘蔵茶釜模して将軍家に贈るという名目呼び寄せるなど、用意周到なものであった額面當百(百文)であるが、一枚124文と設定され、9貫文一両とされたという。(計算上では72.58一両文久3年1863年7月薩英戦争までに半含めて30万両の大銭を鋳造し戦後日々7,000両余鋳造されとされる。しかし、この様大量鋳造により相場暴落し一両=14.5貫文となったという。

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