現行「伽羅先代萩」の成立
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「伽羅先代萩」の記事における「現行「伽羅先代萩」の成立」の解説
伊達騒動を扱った最初の歌舞伎狂言は、正徳3年(1713年)正月、江戸市村座で上演された『泰平女今川』である。 これ以降、数多く伊達騒動ものの狂言が上演されるが、特に重要な作品として、安永6年(1777年)4月、大坂中の芝居で上演された歌舞伎『伽羅先代萩』(奈河亀輔ほか作)と、翌安永7年(1778年)7月、江戸中村座で上演された歌舞伎『伊達競阿国戯場』(初代桜田治助・笠縫専助合作)、さらに天明5年(1785年)、江戸結城座で上演された人形浄瑠璃『伽羅先代萩』(松貫四ほか作)の3作が挙げられる。 歌舞伎『伽羅先代萩』は、伊達騒動を鎌倉時代に託して描き、忠義の乳母・政岡とその子・千松を登場させた。『伊達競阿国戯場』は、騒動の舞台を細川・山名が争う応仁記の世界にとり、累伝説を脚色した累・与右衛門の物語と併せて劇化した。現在『伽羅先代萩』の外題で上演される内容は、「竹の間」「御殿」「床下」は前者、その他は後者の各場面を原型としている。 天明5年(1785年)の人形浄瑠璃『伽羅先代萩』は歌舞伎『伽羅先代萩』を改作・浄瑠璃化したもので、現行「御殿」に用いる浄瑠璃の詞章はこの作品から取られている。 場面構成や科白・演出についてはこの他多くの派生形があり、「花水橋」「竹の間」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」からなる現行の構成は明治半ばから徐々に定着したものである。 また明治以降、累・与右衛門の物語は『薫樹累物語』などの外題で、独立の狂言として歌舞伎・人形浄瑠璃で上演されるようになった。
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