狭義の「ペルシア人」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:14 UTC 版)
もっとも狭義のペルシア人は、現代のイランにおける民族集団ファールスィーの訳語であり、またその直接の先祖であるとみなしうる現在のイランの領域で活動したペルシア語話者の定住民たちを指して用いられる。 ファールスィーは、ペルシア語で「ファールスの人」を意味するが、ファールスは古代イランにおけるパールサのことであり、「ペルシア」の語源となった地名である。したがって、現代ペルシア語のファールスィーと日本語を含む外国語の「ペルシア人」は語源からみてほぼ同一の語である。 イランにおけるファールスィーすなわち「ペルシア人」は、1935年に同国が国名をイランと呼ぶことを正式に決定し、その国民はイラン人と呼ばれるようになったとき、これ以降、ペルシア語を語る国内の最大多数派の集団を呼ぶ民族名称として定着した用語である。 定義次第で幅があるが、現在のイランの人口のうち約50%〜70%が「ペルシア人」である。そもそも民族識別自体が、言語をもとにしているので、方言的な言語をどの程度までペルシア語とするかによって幅は異なる。 現代イランにおける「ペルシア人」の民族的特徴を最大公約数的にまとめれば、現代ペルシア語を母語とし、都市および農村で定住生活を送り、大多数がシーア派の十二イマーム派を信仰している、という点である。
※この「狭義の「ペルシア人」」の解説は、「ペルシア人」の解説の一部です。
「狭義の「ペルシア人」」を含む「ペルシア人」の記事については、「ペルシア人」の概要を参照ください。
- 狭義の「ペルシア人」のページへのリンク