特定地方交通線に選定
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1980年に国鉄再建法が成立すると、沿線自治体や住民は岩泉線の存続や小本駅までの区間の早期着工を求める運動を行ったが、岩泉線の輸送密度は特定地方交通線の選定基準であった1977年度から1979年度までで平均667人/日しかなかったため、1982年には第2次特定地方交通線に選定された。また、同年11月15日には茂市 - 浅内間の貨物営業が廃止された。 これを受けて、岩手県・新里村・岩泉町では並行道路である国道340号がバス代替道路として適当かを検証するため、国鉄バスをチャーターして試走することになった。沿線住民の団体ではさらにバス4台をチャーターしてこの検証に加わったため、1982年12月24日に行われた試走はバス5台と数台の乗用車で構成された大掛かりなものとなった。当時の国道340号は幅4m以下の未改良区間が続いており、トラックとのすれ違いに苦労したという。この結果から、地元自治体は「バス転換はできない」と主張したが、国鉄側は「代替道路として十分対応できると再確認した」と主張、意見が対立することになった。 岩手県では、1983年3月15日付けで運輸大臣宛に岩泉線廃止反対の意見書を提出した。その後、運輸省でも国道340号の現地調査を行った結果、1984年6月には岩泉線を含む6路線については廃止承認を保留とし、1985年8月には岩泉線と名松線については承認先送りとすることを決定、国鉄も岩泉線の廃止承認申請を取り下げることになった。これで岩泉線は存続されることが決まった。 その後、1986年のダイヤ改正では運行本数が削減され、これによって新里村内での通学手段が奪われることになったため、その代替として岩手県北自動車が同年3月3日より茂市から和井内までの間に路線バスの運行を開始した。また、1992年に日中に運行する列車がなくなった際には、岩泉の市街地と岩手大川駅を結ぶバスの運行が岩泉自動車運輸によって開始されている。
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