特務支隊(Sonderabteilungen)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 02:05 UTC 版)
「執行猶予大隊」の記事における「特務支隊(Sonderabteilungen)」の解説
水兵の反乱から始まりドイツ帝国の崩壊を招いたドイツ革命の教訓に基づき、再軍備以降のドイツ国防軍では国家及び軍組織の体制を維持する為、「潜在的な厄介者」や「破壊的要素」を兵役から排除しようと努めてきた。しかし1935年5月21日に発布された新しい国防法(Wehrgesetz)では、破壊活動の為に司法処罰を受けた者のみを「兵役不適格者」(wehrunwürdig)と分類していた。軽犯罪者を含む「潜在的な厄介者」は規律に対する脅威であったが、一方で兵力としての価値が認められていた。これら「潜在的な厄介者」を一般部隊から隔離して収容する為に、最初の懲罰部隊として特務支隊(Sonderabteilungen)が設置されたのである。 第二次世界大戦前には9個の特務支隊が設置されていた。これらの部隊には隊員たる犯罪者らに対して「軍人としての教育を通じ、国家・民族に対する正しい認識を与え、名誉及び義務に対する高い意識を持たせる」ことが期待されていた。特務支隊では一般部隊よりも軍規の引き締めや教育を重視していた為、隊員の帰郷や休暇にも厳しい制限が課されていた。隊員のうち、更生が認められた者は国防軍一般部隊への移動が許可され、また逆に悪意を持って反抗する者は軍務を解かれザクセンハウゼン強制収容所に収容された。推定によれば戦争が始まるまでに、およそ3,000人から6,000人の国防軍将兵が何らかの理由から特務支隊に送り込まれ、またそのうち320人程度が「手に負えない国防軍の害虫」(unverbesserliche Wehrmachtsschädlinge)として強制収容所に送られたという。 戦争が始まると特務支隊は解散したが、まもなく規模を拡大した野戦特務大隊(Feld-Sonderbataillon)という懲罰部隊が改めて設置された。戦争の激化に伴い兵力の需要が高まると、従来は営倉送りの処分が課せられていた軍規違反者や通常の執行猶予処分者、そして兵役不適格者なども特務大隊に送られることになる。
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