牧野康成 (大胡藩主)とは? わかりやすく解説

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牧野康成 (大胡藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 03:31 UTC 版)

牧野 康成(まきの やすなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将譜代大名徳川氏の家臣。はじめ三河国牛久保城主、のち上野国大胡藩初代藩主。官位従五位下右馬允


  1. ^ 実名に祖父の名を用い貞成と称した(祖父・父ともに同じ通称を用い、も類似しているためにこの3人は混同されやすいので注意)。武功により、徳川家康より偏諱として「康」字を拝領という。
  2. ^ 『長岡の歴史 第1巻』12 - 13頁
  3. ^ 『長岡の歴史 第1巻』17頁
  4. ^ 寛永諸家系図伝』の編者注によるとする(『新編 豊川市史 第1巻』372頁)、および康成の源氏称姓時期は天正16年の従五位下・右馬允任官の際の口宣案とする(『新編 豊川市史 第1巻』374頁)。
  5. ^ ただし、牧野氏および康成は、徳川家康(松平氏)に先祖代々仕えた譜代の家臣ではなく、家康が桶狭間の戦いの後に岡崎に自立して三河を平定して行く過程で、その軍事的圧力に屈して征服された経緯を持つ。はじめ康成は酒井忠次配下の東三河の国衆の一人とされ、家康譜代の家臣団とは区別されていたが、大胡移封のこの時に譜代大名に列したものである。
  6. ^ 『長岡の歴史 第1巻』21 - 22頁および188 - 189頁
  7. ^ 『長岡の歴史 第1巻』24 - 25頁の添付系図とその注記による。


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