無災害工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 01:25 UTC 版)
ダム建設地点は本計画においては奥新冠ダム(新冠川)と共に日高山脈の奥深くにあり、険阻な峡谷地帯である。施工者である北海道電力は建設に際し「慰霊碑のない発電所」を合言葉とした。日高電源一貫開発計画はその全てが北海道随一の険しさを誇る日高山脈で行われ、気候も夏季の豪雨と冬季の極寒・豪雪という過酷な状況下で繰り広げられた。このため何れの事業も難工事となり、奥新冠ダムでの57名を筆頭に下新冠ダム(新冠川)・双川ダムを除きほぼ全ての事業で労働災害による殉職者を出していた。奥新冠ダムと同様の地形である東の沢ダムにおいてはこうした悲劇を繰り返さないために、殉職者を弔う慰霊碑を造らない安全第一の工事を行う方針を特に定め、その決意として先の合言葉となった。 東の沢ダム・発電所の工事は地元の林業に支障を来たさないようにするため、厳寒・豪雪の冬季に実施された。建設に当たっては可能な限りの合理化とスピードが要求されていたが、これは労働災害を招きやすい条件でもあった。このため北海道電力と工事を担当する飛島建設・青木建設(青木あすなろ建設)は毎朝のミーティングやヒヤリ・ハット防止運動を行い作業員へ注意喚起を行い安全意識を高めさせた。また作業は慎重に行われたほかダム地点までの運転についても、林道は山側が岩壁・川側が断崖でガードレールも無かったため転落を防止するため、工事用車両は運転の際に昼間の点灯と時速30キロメートルの速度制限を義務付けた。 安全に徹底した工事が進められたがそれでも日高山脈の自然は厳しくダム工事が実施された冬季の平均気温は氷点下5度、最低気温は氷点下23度に及ぶこともあった。こうした中で度々の雪崩、春季には落石や大規模な崩落などが相次いだものの、施工者と工事担当企業の安全への徹底と工事技術の進歩などによって1987年(昭和62年)2月にダム・発電所が完成するまでの約4年間、完全無事故・無災害を達成、「慰霊碑のない発電所」は実現したのである。
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