無準師範墨蹟とは? わかりやすく解説

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無準師範墨蹟〈尺牘/〉

主名称: 無準師範墨蹟〈尺牘/〉
指定番号 55
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1幅
時代区分 南宋
年代
検索年代
解説文: 南宋時代作品

無準師範墨蹟〈円爾印可状(絹本)/(丁酉歳十月)〉

主名称: 無準師範墨蹟〈円爾印可状絹本)/(丁酉十月)〉
指定番号 89
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1幅
時代区分 南宋
年代
検索年代
解説文: 南宋時代作品

無準師範墨蹟〈山門疏/(絹本)〉

主名称: 無準師範墨蹟〈山門疏/(絹本)〉
指定番号 252
枝番 00
指定年月日 1964.05.26(昭和39.05.26)
国宝重文区分 国宝
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1幅
時代区分 南宋
年代
検索年代
解説文:  無準師範【ぶじゆんしばん】(仏鑑禅師)は南末の禅林代表する一人で、円覚寺無学祖元むがくそげん】(仏光禅師)、東福寺円爾弁円【えんにべんえん】(聖一国師)などいずれもその法流から出ており、日本の禅宗に大きな交渉をもった人である。彼の住持の径山【きんざん】が紹定六年(一二三三)再度炎上した後、これをふたたび復興し、また寺を去る四十里の地に往来雲水接待するために一院をたてた。時の皇帝理宗はこれに勅額与えて万年正続之院」と名づけ寺領下賜したが、右の経由略述して朝恩謝しあわせて大仏宝殿など未成就の仏殿建設大檀那の勧縁を切望したのが、この山門疏【さんもんのそ】である。絹本大幅に雄渾筆致をみせた師範墨蹟中の代表で、さきに国宝指定され京都東福寺円爾印可状東京国立博物館尺牘せきとく】(板渡の墨蹟よばれる)とならぶ貴重な遺品である。

無準師範墨蹟〈与聖一国師尺牘/〉

主名称: 無準師範墨蹟〈与聖一国師尺牘/〉
指定番号 1595
枝番 00
指定年月日 1953.11.14(昭和28.11.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1幅
時代区分 南宋
年代
検索年代
解説文: 南宋時代作品
重要文化財のほかの用語一覧
書跡・典籍:  無学祖元墨蹟  無学祖元墨蹟  無明慧性墨蹟  無準師範墨蹟  無準行状記  無爾可宣墨蹟  無等恵融墨蹟



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