紹定とは? わかりやすく解説

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紹定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 04:56 UTC 版)

紹定(しょうてい)は、中国南宋理宗の治世に使用された元号。1228年 - 1233年。

西暦等との対照表

紹定 元年 2年 3年 4年 5年 6年
西暦 1228年 1229年 1230年 1231年 1232年 1233年
干支 戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳
正大5 正大6 正大7 正大8 正大9
開興
天興
天興2
西夏 宝義3 - - - - -

出来事

  • 宝慶3年
  • 紹定元年
    • 8月:李全がモンゴルを裏切って楚州に還る。
    • 11月27日:皇城出入りをさらに厳しく扱う詔勅が出る。
  • 紹定2年
    • 4月23日:郡県官の欠位に芸術人・豪民・元役人が補任されることを禁ずる詔勅が出る。
  • 紹定3年
  • 紹定4年
    • 正月15日:李全を誅す。
    • 6月4日真徳秀・魏了翁の元官を復す。
    • 7月:沔州の官員がモンゴルの使者を殺害する。
    • 8月6日:モンゴル軍が大散関を越えて鳳州を破り、興元府に至って劫掠する。
    • 9月3日:臨安にて大火が発生。太廟と多数の官庁が焼失される。
    • 10月:モンゴル軍が金の攻略のため漢中を経由した後、河南へ進攻する。
  • 紹定5年
    • 正月11日:史嵩之が京湖安撫制置使に任ぜられ、襄陽に鎮守する。
    • 正月21日:太廟が復元される。
    • 8月26日:玉牒殿が建てられ、歴代の玉牒を奉安する。
  • 紹定6年
    • 7月:孟珙鄧州の馬蹬山に駐屯した金軍を迎撃して大破する。
    • 8月:南宋とモンゴルが金を挟撃することに約する。
    • 9月:金がモンゴルに対抗する同盟を求めたが、南宋はこれを拒否する。
    • 10月:孟珙の率いる宋軍が河南へ北上。モンゴル軍と合流した後、金の蔡州を包囲する。
    • 10月24日宰相史弥遠が死去。
    • 11月6日:翌年より「端平」へ踰年改元の詔が下る。

他の王朝

関連項目


前の元号
宝慶
中国の元号
南宋
次の元号
端平



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