漢方薬局、阿含宗入信、無許可薬品の販売
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「オウム真理教の歴史」の記事における「漢方薬局、阿含宗入信、無許可薬品の販売」の解説
1978年、石井知子と結婚し、千葉県船橋市湊町の新居に鍼灸院「松本鍼灸院」を開院し、タウン情報誌の広告で「中国で学んだ松本智津夫の中国式漢方総合治療室」と称し腰痛、ムチウチ、肩こり、頭痛で悩む方、「美しく痩せたい方」を募集した。なお、「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」では医業の広告や医業類似行為も規制されており、虚偽誇大広告は禁止されている。既にこの頃、予備校時代からのブレーンが若者を勧誘して「世直しの集会」を開き、鍼灸師は「仮の姿」と語っていた。同年9月には診察室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開業し、耳つぼに鍼を打って痩せる施術をしたり、こんにゃく、ミカンの粉末をダイエット食品として販売した。1980年7月、保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求され、亜細亜堂を閉鎖したあと、8月に阿含宗に入信した。 1981年(昭和56年)2月、船橋市高根台に「BMA薬局」(BMAはブッダ・メシア・アソシエーションの略)開局。GLA(ゴッド・ライト・アソシエーション)の影響ともいわれる。この頃、朝鮮人参や蛇の皮、みかんの皮、人参などを酢酸とエタノールに漬けた無許可の漢方薬やダイエット薬「ビューティー」を製造する「天恵の会」を作り、都心の京王プラザホテルなどで3万円から6万円もする「風湿精」『青龍丹』「降圧精」などを「リウマチ、神経痛、腰痛が30分で消える」と称して販売し、4千万円を売り上げた。1982年6月、詐欺被害の訴えによって薬事法違反で逮捕、20万円の罰金刑を受ける。これに先立ち、当時熊本で鍼灸院を経営していた長兄もミカンの皮を「体内を浄化する薬」として1回2万円で販売しており、麻原はこれを真似たともいう。 逮捕後、ヨーガ・スートラを研究。同1982年、経営塾などをやっていた人物である西山祥雲に弟子入りし「彰晃」の名をもらい「松本彰晃」を名乗る。西山のセミナー「自念信行会」の副教祖にしてくれと懇願した際、麻原が右手で輪を作り、左手を上に向けて膝に置いて、「お釈迦さんだってこんなポーズをとっているでしょう。銭もってこい、と言ってるんですよ」と笑ったため、西山が怒ると、麻原は泣き出した。
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