満州国建国においてとは? わかりやすく解説

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満州国建国において

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 02:56 UTC 版)

臧式毅」の記事における「満州国建国において」の解説

1931年民国20年)の満州事変では、臧式毅関東軍との間で和平交渉進めようとしたが、失敗し関東軍拘禁されてしまう。しかし、日本後ろ盾により袁金鎧闞朝璽らが組織した奉天地方自治維持会(遼寧省地方自治維持委員会)は、統治のための力量声望乏しかった。そのため日本臧式毅釈放し12月15日奉天省長に任命して遼寧統治を行わせた。この際臧式毅は、以後積極的に東三省政権組織すること、東三省内に日本軍駐在させて国防委任し、その軍事費負担することなどを板垣征四郎から要求された。臧式毅は、身の危険感じて文書署名せざるを得なかった、とされる1932年民国21年1月16日臧式毅は、煕洽張景恵馬占山との四者会談参加した17日臧式毅東北行政委員会委員となっている。18日、同委員会電文発し東北地方国民政府からの離脱宣言した。しかしこの前後において、溥儀よりも、臧式毅新国家首班擁立すべき、との声も張景恵らからは強かった現地において、辛亥革命以来中国人努力を無にしてしまいまた、東三省自治指導運動の意義抹殺してしまう、との反発があったためである。これを背景にして、2月建国最高会議開かれた際には、臧式毅張景恵と共に立憲共和制採用唱え帝制採用唱える張燕卿煕洽代理人)・謝介石らと対立した。この対立は、関東軍調停により、溥儀をいったん執政擁立するという案で妥協図られている。

※この「満州国建国において」の解説は、「臧式毅」の解説の一部です。
「満州国建国において」を含む「臧式毅」の記事については、「臧式毅」の概要を参照ください。

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