満州国参加問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 00:18 UTC 版)
「1940年東京オリンピック」の記事における「満州国参加問題」の解説
アジア主義者を中心とした各種団体から、独立したばかりの満州国選手団の参加を求める抗議行動が続いていたが、1938年3月にカイロ(エジプト)で開催されたIOC総会では、ベルリン大会組織委員会事務総長のカール・ディームが聖火リレーの実施を提議し、各国から実施の要望がなされるなど、開催へ向けて準備が進んだ上に、聖火リレーのルートに満州国を入れることで、当時イギリスやアメリカ、ソビエト連邦などの中国大陸での利権をめぐり日本と対立していた国の反対でオリンピック委員会への加盟がかなわず、そのために参加が危ぶまれていた満州国選手団の参加に弾みをつけた。
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