満州国の要人として
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1932年(大同元年)3月9日、満州国が正式に成立し、翌10日、臧式毅は民政部総長(後に大臣)兼奉天省長に任命された。1934年(康徳元年)3月、溥儀の皇帝即位の際に、臧式毅は勲一位に叙された。 同年10月、四省制から十省制への省制度改革がなされた際に、奉天省長の兼任を解かれている。翌1935年(康徳2年)3月、国務総理大臣鄭孝胥が辞意を表明した際に、臧式毅は溥儀から後任に推されたが、同年5月21日、関東軍が推す張景恵が後任の国務総理となり、臧式毅は参議府議長とされた。以後、立法院憲法制度調査委員、国道会議副議長などを歴任したがいずれも閑職であった。1940年(康徳7年)、汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府を樹立すると、臧式毅は満州国代表として南京に赴き、日満華共同宣言に調印した。 1945年(康徳12年)8月17日、臧式毅・煕洽・張景恵らは、通化省臨江県大栗子で参議府緊急会議を開き、康徳帝(溥儀)の退位詔書(詔勅)を承認した(翌18日に公表)。その後、臧式毅らは新京に戻ってソ連軍との交渉を図ったが、ソ連軍は20日に新京に入城し、30日に臧式毅は逮捕された。臧式毅の身柄はソ連に移送され、1950年7月31日に中華人民共和国に引き渡された。以後、撫順戦犯管理所に収監される。1956年11月13日、獄中で病没した。享年73(満72歳)。
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