満州国の要人としてとは? わかりやすく解説

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満州国の要人として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 02:56 UTC 版)

臧式毅」の記事における「満州国の要人として」の解説

1932年大同元年3月9日満州国正式に成立し、翌10日臧式毅民政部総長(後に大臣)兼奉天省長に任命された。1934年康徳元年3月溥儀皇帝即位の際に、臧式毅は勲一位叙された。 同年10月四省制から十省制への省制度改革なされた際に、奉天省長の兼任解かれている。翌1935年康徳2年3月国務総理大臣鄭孝胥辞意表明した際に、臧式毅溥儀から後任推されたが、同年5月21日関東軍推す張景恵後任国務総理となり、臧式毅参議府議長とされた。以後立法院憲法制度調査委員国道会議副議長などを歴任したいずれも閑職であった1940年康徳7年)、汪兆銘汪精衛)が南京国民政府樹立すると、臧式毅満州国代表として南京に赴き、日満華共同宣言調印した1945年康徳12年8月17日臧式毅煕洽張景恵らは、通化省臨江県大栗子参議府緊急会議開き康徳帝溥儀)の退位詔書詔勅)を承認した(翌18日公表)。その後臧式毅らは新京戻ってソ連軍との交渉図ったが、ソ連軍20日新京入城し30日臧式毅逮捕された。臧式毅身柄ソ連移送され1950年7月31日中華人民共和国引き渡された。以後撫順戦犯管理所収監される。1956年11月13日獄中病没した。享年73(満72歳)。

※この「満州国の要人として」の解説は、「臧式毅」の解説の一部です。
「満州国の要人として」を含む「臧式毅」の記事については、「臧式毅」の概要を参照ください。

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