満州国海軍 江防艦隊
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駐満海軍部は、臨時海軍防備隊および満州国海軍江防艦隊による治安の維持および作戦計画に協力するとともに、軍事顧問として、駐満海軍部参謀長の伊藤整一海軍大佐と川畑正治海軍少佐が江防艦隊の指導育成にあたった。 満州国海軍は、事変前の張学良の奉天軍閥「東北海軍」が母体である。東北海軍は、営口を根拠とする「海防艦隊」と哈爾浜を根拠とする「江防艦隊」があったが、事変後に海防艦隊は青島に逃亡し、江防艦隊は恭順の意を表したため、満州国海軍の江防艦隊として改編し、1932年(大同元年)4月15日軍令第1号「陸海軍条例」により正式に誕生した。 満州国軍唯一の艦隊である「江防艦隊」は、北満三江(松花江、黒竜江、烏蘇里江)の満ソ国境警備用水上部隊として、河川流域の匪賊や反吉林軍、馬占山の討伐などに活躍したが、7年後の1939年(康徳6年)2月15日軍令第2号の同条例改正により、満州国陸軍の「江上軍」に改編され終焉を迎えた。
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