渡辺融 (官僚)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 渡辺融 (官僚)の意味・解説 

渡辺融 (官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:13 UTC 版)

渡辺融

渡辺 融(わたなべ ゆずる、1844年10月17日(天保15年9月6日[1] - 1924年大正13年)1月4日[2])は、日本裁判官検察官内務官僚。官選県知事錦鶏間祗候

経歴

肥後国出身。熊本藩士・渡辺藤太の長男として生まれ、祖父・渡辺才右衛門の後を継いだ[1]

明治5年(1872年熊本県一等出仕となる[3]1973年2月、白川県少属に就任[4]。さらに熊本県権中属となる[1]。その後、判事に転じ、熊本区裁判所長、中津区裁判所長を歴任。そして検事となり、高知地方裁判所検事、岐阜地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事を歴任[3]1890年安濃津地方裁判所検事正に就任[1]。以後、名古屋地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任[3]1897年12月、農商務省山林局長に就任。1898年7月5日、依願免本官となり退官[4][5]

1900年1月、高知県知事に登用された。無理な土木事業等を進めず、また中学校の増設を行った[6]1903年6月、山口県知事に転任。1912年6月、知事を辞職し退官した[1]。同年7月12日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[7]

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』854頁。
  2. ^ 『官報』第3411号、大正13年1月9日。
  3. ^ a b c 『人事興信録』第3版、わ26頁。
  4. ^ a b 「従三位渡辺融特ニ錦鶏間祗候被仰付様宮内大臣ヘ照会ノ件」
  5. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』115頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』942頁。
  7. ^ 『官報』第8720号、明治45年7月13日。
  8. ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
  9. ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。
  10. ^ 『官報』第1943号「叙任及辞令」1889年12月18日。
  11. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第3版、1911年。
  • 内閣「従三位渡辺融特ニ錦鶏間祗候被仰付様宮内大臣ヘ照会ノ件」大正元年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-019-00・任B00648100



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「渡辺融 (官僚)」の関連用語

渡辺融 (官僚)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



渡辺融 (官僚)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの渡辺融 (官僚) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS