海賊征討戦とは? わかりやすく解説

海賊征討戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:47 UTC 版)

グナエウス・ポンペイウス」の記事における「海賊征討戦」の解説

紀元前67年地中海一帯荒らしていた海賊征伐すべく、護民官アウルス・ガビニウスは「ガビニウス法」と称される法案プレブス民会提出した。すなわち、「ローマ軍20軍団歩兵125000騎兵)、軍船500隻、14名の元老院議員資格者からなる幕僚投入すると共に総司令官としてこれらを統括する権限ポンペイウス3年間期限で付与する」というものであった元老院議員多く反対に回ったものの、ガイウス・ユリウス・カエサル一部元老院議員がこれに賛成し、票を持つローマ市民海賊被害甚大であったこともあって、ガビニウス法は可決された。 ポンペイウス海賊討伐戦略は、まず地中海全域13作戦海域区分した上でそれぞれに軍団長及びローマ軍団配備し、自らは60隻の軍船率い遊撃部隊指揮を執って、支援を必要とする作戦海域駆けつけるというものであり、各軍団は海戦海賊撃退した後にこれを追って海賊根拠地叩き潰す形をとった。まずはヒスパニアヌミディアサルディニアなどの地中海西部海域海賊征討し、わずか40日程度でこれを達成した西部海域征討した海賊追って地中海東部海域侵攻して、エジプト・エーゲ海等を制圧して、海賊最大根拠地であったキリキア沿岸陥落させたが、わずか49日であった結果、3カ月足らず地中海全域海賊討伐して、捕獲した船舶400隻、撃沈した船舶1300隻、1万人以上の海賊殺害し降伏した海賊2万人以上に達したという。 それら海賊ポンペイウス沿岸から離れた地区植民させており、その中の一つであるキリキアソリは「ポンペイオポリス」と呼ばれることとなったキケロポンペイウスの海賊征討戦について「冬に準備行い春に行動起して、夏までに全てを終わらせた」 とその周到さを称えたように、陸だけでなく海に於いてポンペイウス軍事能力の高さを示した

※この「海賊征討戦」の解説は、「グナエウス・ポンペイウス」の解説の一部です。
「海賊征討戦」を含む「グナエウス・ポンペイウス」の記事については、「グナエウス・ポンペイウス」の概要を参照ください。

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