浦本トンネル(浦本駅 - 能生駅)
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「頸城トンネル」の記事における「浦本トンネル(浦本駅 - 能生駅)」の解説
浦本トンネルは第1工区が奥村組、第2工区が大林組の請負によりそれぞれ1966年(昭和41年)10月21日、9月13日に着工した。本トンネル第1工区(米原起点332 km 215 m - 333 km 700 m)では、ルート選定時のボーリング調査で地表に圧力水が自噴する箇所があり、鬼伏調査坑(延長221 m)を掘削した。その結果、泥岩と砂れき層の境界に大量の地下水の存在が判明したが、前後の取り付けの関係上やむを得ず被圧水帯を掘削することとなった。その後の掘削では坑口より420 m 掘進後、泥岩砂れき境界付近の切羽で地質調査用ボーリング3本を実施したところ、3気圧 1,700 L/minの湧水に遭遇し、切羽掘削が中止された。 その後も減水の兆候は見られなかったため、長孔ボーリングによる水抜きを実施した。1回目のボーリングでは湧水圧は0.5気圧に減少するなど成功をおさめ、以降調査ボーリングにより被圧水が確かめられる度に水抜き・排水が実施され、最終的に長孔ボーリングは孔数17、延長2,210 m に及んだ。 また、直江津方(第2工区)では軟弱な泥岩層を掘削することとなったが、これについてはサイロット工法で切り抜けた。 このほか軌道については、コンクリートスラブ軌道を390 mの区間で試験採用した(後述)。 本トンネルは1968年(昭和43年)3月14日に貫通し、1969年(昭和44年)3月10日の第1工区インバートコンクリート工事竣工をもって工事は終了した。
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