洗足地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 08:20 UTC 版)
「洗足田園都市」も参照 1922年(大正11年)6月に田園都市株式会社が最初に分譲したのは、開発した45万坪(148万平米)のうち8分の1にあたる洗足地区(第一期にあたる現在の目黒区洗足の一部、品川区小山の一部)の約5.5万坪(約18万平米)であった。碁盤状に道路を確保し、土盛りをしない畑での予約販売であったが、前節の回想記によると「洗足のサイトプランが出来上がると、図面を印刷し、電車開通前に売り出した。1922年(大正11年)5月頃だったと思う。畑の土を掘って計画通りの道筋だけをつけた。だから道筋以外には青麦がはえ、馬鈴薯の花が咲いていた。そこをお客さんたちは図面をてにして、気に入った場所を物色して歩いた」とあり販売は好調であった。10月中には計画通り上下水道の設備、道路の舗装等の工事も完成し、12月には送電を開始した。翌1923年(大正12年)3月には目蒲線 (現在の 目黒線) が開通し、洗足駅が開業した。同年9月に起った関東大震災において、洗足田園都市の住宅には被害がほとんど出なかったこともあり、次節で述べる多摩川台地区の住宅地も俄然売れ行きがよくなった。洗足地区であるが、分譲2年後にあたる1923年(大正13年)2月には全ての区画が完売となった。 1929年(昭和4年)12月20日、社団法人洗足会が発足。同会は1930年(昭和5年)秋、会社の資金提供により、洗足会館(品川区小山七丁目5番)を建設、翌春竣功した。1931年(昭和4年)5月5日、洗足会館落成式が会員、その家族等数百名を集めて挙行された。2012年(平成24年)3月20日、80余年の歴史を経た洗足会館の建て替えに伴う新築工事が完了。2013年(平成25年)10月5日には、一般社団法人 洗足会の主催により「洗足田園都市「歴史を語る集い」」も開催されるなど、活発な文化活動が継続されている。
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