洗衣院に下された女性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 01:30 UTC 版)
金人に分け与えられた妻妾以外に、一部の捕虜女性は、性的奉仕を強要され、韋、邢二后以下三百人は洗衣院に入れられた。 『呻吟語』は『燕人麈』を引用して、次のように記している。「十に九人、娼となりて、名節を失い、身もまた亡ぶ」。「辛うじて妓楼を出ても、即ち鬼籍に上る」。この著者は、また一人の隣家の鍛冶屋から伝え聞いた話として、以下のようにも書いている。「八金を以って娼婦を買う、すると実に親王女孫(皇族の孫娘)、相国姪婦(宰相の甥の嫁)、進士夫人(科挙合格者の妻)なり」。 この女性たちの中で姓名などを記されている人物は、以下の通りである。 徽宗の数人の息女(柔福帝姫、和福帝姫、顕福帝姫) 徽宗の妃嬪韋氏(南宋の高宗の母)、奚拂拂、裴宝卿、管芸香、謝詠絮、江鳳羽、劉蜂腰、劉菊仙、閻月媚、朱柳腰、兪小蓮 欽宗の妃嬪朱淑媛、田芸芳、許春雲、周男児、何紅梅、方芳香、葉寿星、華正儀、呂吉祥、駱蝶児 高宗の妻の邢秉懿、側室(姜酔媚、田春羅) 徽宗の他の息子の妻妾:朱鳳英(欽宗の皇后の妹)、田静珠、周瑜、高仲賢、厳善、任二姑、曹三保、王延玉、田鳳儀、朱針仙 徽宗の兄弟の妻妾:王柳姑、葉三郎、陳細眉 また、捕虜となった童女複数(幼い皇女たちも含まれる)も洗衣院で育てられ、成長後に金国人の妻妾、あるいは娼婦となった。徽宗の娘(慶福帝姫、華福帝姫、純福帝姫)、高宗の娘(趙仏佑、趙神佑)もその中に含まれた。
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