法律論について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:44 UTC 版)
国賠判決は、結果違法説を「自由心証主義の趣旨に反し、時代的・社会的状況の変化を無視するもの」として否定し、職務行為基準説を採用した。これについて宗岡は、自由心証主義とはそもそも、裁判官による自由な心証形成を認める(すなわち、司法権の独立を保障する)ことが無辜の処罰を典型とした国家不法行為の抑制に繋がる、という経験則に支えられたものである。よって自由心証主義は「疑わしきは罰せず」の下位規範であり、それをどれだけ拡大したとしても、結果生じる無辜の処罰を正当化する機能を持ち得ない、と批判した。 また宗岡によれば、「時代的・社会的状況の変化」に影響されない解釈が存在しないことを前提とするのであれば、結果違法説のみならず職務行為基準説もまた成り立ち得ない。そして、違法性を「著しく不合理な事実認定」であるか否かのみで判断する職務行為基準説は、「事実誤認によって被告人が被った権利侵害」という現実を判断の埒外に置き、「国家による人権侵害の弾劾」という国賠訴訟の本来的核心を、訴訟の背後へと後退させるものである、とされる。 一方、国賠判決は職務行為基準説に基づき、裁判官の行為に違法性が生じる基準を「普通の裁判官の少なくとも4分の3以上の裁判官が、合理的な疑いを持って無罪の事実認定をしたであろう事案」について有罪判決を下した場合である、とも判示している。しかしこれについて庭山は、どのように4分の3を超えたかを判断するかがまったく不明であり、また4分の3以上の裁判官がおかしいと感じなければ違法にはならないという考えは、有罪確信の定義である「道徳的確実性(英語版)」や「確実性に接着した蓋然性」などの概念とも衝突する、と批判した。 また国賠判決は、情況証拠・間接事実を総合的に判断して有罪を認定するスタンスが裁判実務の現状であることを指摘し、一審判決を免責している。これについても庭山は、裁判実務が積極的実体的真実主義(すなわち犯人必罰主義)にあることを容認するものであり、明白な刑訴法第1条および憲法第37条(デュー・プロセス)違反である、と批判している。
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