法人化とApple II
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「Apple」の記事における「法人化とApple II」の解説
テレルとの取引で手応えを得たジョブズは事業拡大を望み、そのために多額の資金が必要となった。ジョブズはセコイア・キャピタルの創業者ドン・バレンタインに会って融資を求めたが、バレンタインはApple Computerへの投資に興味を持たず、代わりに自分の元部下で、個人投資家として財を成していたマイク・マークラを紹介した。マークラはジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月からAppleに加わった。マークラは自分の個人的資産から9万2000ドルを投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルの信用供与を確保した。 1977年1月3日に法人化され、Apple Computerとなった。マークラはAppleの成長には経験豊富な経営者が不可欠と考え、ナショナル セミコンダクターから元同僚のマイケル・スコット(英語版)を引き抜いて初代社長兼CEOの座につけた。スコットは1977年2月からAppleでの仕事を始め、社員番号を入れた社員証を発行するなど、会社をより組織的にするための施策を実行した。他方、ウォズニアックはApple Iの改良を着々と進めており、1976年8月末の時点で後継機となる「Apple II」のプロトタイプを完成させていた。 Apple IIは1977年4月16日にウェスト・コースト・コンピュータ・フェアで発表され、小売価格1,298ドルで発売された。Apple IIの販売は当初から好調だったが、1978年7月に発売された専用フロッピーディスクドライブ「Disk II(英語版)」と、1979年10月に発売された専用の表計算ソフト「VisiCalc」が大ヒットを記録し、Apple IIの販売台数が大幅に増加した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1980年には設置台数で10万台、1984年には設置ベースで200万台を超え、Appleに大きな利益をもたらした。[要出典]
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