法人化と病院規模の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:41 UTC 版)
「賛育会病院」の記事における「法人化と病院規模の拡大」の解説
1926年9月10日に法人格を取得し、組織を財団法人に変更。木下が理事長を退き、新理事長に吉野作造が選出された。吉野は「自給自足」を基本方針とした。 1932年10月5日付で『賛育会ニュース』第1号を発行。題字は吉野作造の手によるもので、今日まで変わっていない。この間、1927年5月に東京都荏原郡大井町原(現在の品川区大井)に大井診療所を開設、本所区江東橋(錦糸町駅の南側)にあった錦糸病院の営業を継承し、1929年には砂町診療所を開設する。1930年には「賛育会病院」の本建築が建築家・遠藤新の設計によって竣工するとともに、日本光学工業の社宅の貸与を受けて大井診療所を大井森前町(現在の品川区西大井一丁目)に移転、大井病院に改称して、法人の規模は拡大していった。1936年には賛育会病院を増築して病床数が259となり、1942年には深川区千石町に石島病院を開設している。 しかし、1945年1月に強制疎開のため大井病院が取り壊しを受け閉鎖、1945年3月10日の東京大空襲で残る施設も灰燼に帰し、職員も3名の犠牲者を出した。3月12日に病院屋上で解散式を行い、組織は解散した。
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