河道整備とは? わかりやすく解説

河道整備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:36 UTC 版)

最上川」の記事における「河道整備」の解説

最上川内陸重要な交通路としても利用された。舟運発達によって最上川の河道整備も必要となったが、最上川中流部下流部掛けて難所多く水運発達最大懸念となっていた。河口部酒田戦国時代には堺や博多同様の自治港湾都市として、奥羽随一商業都市発展していた。関ヶ原の戦いの後に酒田統治する事となった最上義光酒田山形水運で結ぶ為に最上川の河道整備を行った最上川中流部通称最上川三難所」と言われ碁点・三ヶ瀬・隼の瀬(現在の村山市)の三地点開鑿して川幅拡張川底掘削実施舟運円滑化を図った。これにより水運発達し各所船着場建設された。 その後流通経済拡大によって更なる舟運整備求められた。1659年万治2年)には幕領米の輸送請け負った江戸商人正木左衛門らが酒田から江戸を結ぶ西廻り航路開通させ、酒田は更に重要な経済都市として発展していった。 1693年元禄6年)、第四代米藩主上杉綱憲時に米沢藩御用商人であった西村左衛門は、酒田米沢盆地を結ぶため、1万7千両巨費投じて最上川上流部難所であった五百川峡・黒滝地点開鑿し、長崎(のちの中山町)から荒砥白鷹町)の通船工事完成させた。米沢藩領内にある最上川荒砥よりも上流は「松川通り」と呼ばれ、糠の目(高畠町)、宮(長井市)、菖蒲白鷹町)の河岸には藩の陣屋設置された。

※この「河道整備」の解説は、「最上川」の解説の一部です。
「河道整備」を含む「最上川」の記事については、「最上川」の概要を参照ください。

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