河邊十二島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:21 UTC 版)
鎌倉時代の史料に「口五島」と「奥七島」を合わせて「河邊十二島」とする記述が見える。「口五島」を大隅諸島・上三島の中の5島(竹島、硫黄島、黒島、口永良部島、屋久島)、「奥七島」をトカラ列島に比定する説がある。鎌倉時代の朝廷の支配は口五島までであって奥七島から先は異界であったともされる。 後述の承久の乱以降は、川辺郡や河邊十二島の一部は千竈氏が支配する事になる。坊津の港や、屋久島下郡、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島等の奄美群島等が「雨見嶋、私領郡」として千竈氏に与えられた。なお種子島は肥後氏嫡流種子島氏が領した。
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