沖縄独立論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:28 UTC 版)
「琉球独立運動」も参照 大山は1997年、日本からの独立を主張した著書である『沖縄独立宣言』を出版した。これは占領下で一貫して日本本土復帰論者であった大山が、沖縄独立論者へ思想を転向したことになる。この思想転換について大山はインタビューの中で「たしかに内容が矛盾していると笑う人がいました」、「あくまで夢の実現への手段として、やっぱり最終的にめざすべきところは独立です。しかしそれへのステップとして、一応は日本に帰る。(中略)米軍政の圧政から開放される現実的なひとつの手段として復帰運動に全力を尽くしたのです」と述べている。 大山が沖縄独立論に舵を切った契機として、1995年に発生した沖縄米兵少女暴行事件が大きかったと推測される。大山は自著で、米軍占領下から復帰後も連綿と続いてきた数々のアメリカ兵による事件があり、なかには事件化すらしない件あったとした上で、「日本もアメリカも、この沖縄に住む人間を、犬や猫並みにしか見ていないことの証し」とした。 大山が沖縄独立論を唱えだした時期について、大山の孫である玉城満は「(大山が独立論を唱え始めたのは)90歳前後だったと思います」と、ノンフィクション作家の佐野眞一のインタビューに証言している。そして自身が独立論を展開したときに「戦時中は君たち教職員が教え子を戦争に煽り、戦後は復帰運動をやって、今度は独立論か」とカミソリ入りの脅迫状がきたことを明かしている。玉城は大山が独立論に傾倒した理由について「行政畑に長くいたから、本土の『コブツキ』の現実を見てしまったことが大きかったんじゃないかと思うんです。本土に復帰して沖縄にかなりの予算が投入されたけど、沖縄にはほとんど銭が落ちなくて、予算の大半は沖縄を素通りして本土に持って行かれる。ステーキは食わせてもらえず、飴玉ばかりしゃぶらされている。そういう現実をいやというほど見せられてきたから、考え方も変わってきたんじゃないでしょうか」と推測した。 東洋大学教授などを務めた社会学者の佐藤俊一は、大山の沖縄独立論について「大山の『沖縄独立宣言』は、彼の政治経歴からしても、パロディとしてかたづけるわけにはいかない」とした上で、「大山の場合は宣言どまりで独立に向けた構想などの提起はみられない」と論じている。
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